了見が狭い。
最近、とくに了見が狭くなってきた。
一時的なものだといいんだけど。
怒りっぽいし、他人のミスを許せなかったり。
あぁ、自己嫌悪。
かといって、自分が完璧なわけでもない。
というより、ダメ人間。
人のことを、とやかく言える立場でもない。
ちょっと気分転換しないと。。。かな。
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最近、とくに了見が狭くなってきた。
一時的なものだといいんだけど。
怒りっぽいし、他人のミスを許せなかったり。
あぁ、自己嫌悪。
かといって、自分が完璧なわけでもない。
というより、ダメ人間。
人のことを、とやかく言える立場でもない。
ちょっと気分転換しないと。。。かな。
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あぁ、1年書かないと、ココログのアカウントが削除される。
ちょうど、ここの使い道を思案中。
ここでは日常生活っぽい日記を書くスペースにはしたくないし。。。
とりあえず、これで、しばらく考えるとしよう。。。
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あぁ、このブログは久々更新。
日付を見れば、約1年ぶりかぁ。。。別に放置してた訳でなく。
だって、ブログのお引越しをしたんだもんなぁ。
でも、そのブログと室井サンのブログと相性が悪いのか、トラバを受け付けてもらえた事がなく、「トラバに失敗しました」のエラーメッセージが。。。涙。 んなわけで、とりあえず今回は1年休眠させてあった旧ブログからの更新。
さてさて、室井サンの言うところの「興味のある事」について。
と言っても、別段「私は今、○○にハマってまーす♪」なんつー事もなく、ただひたすら、日々の生活に追われているような。。。興味と言うか、ちょっと気になる事なら一つだけあった!
「和色」!
(あ、このブログのテンプレは休眠前のままだから、モノクロブーチャンだけどw)
それぞれの色に、由縁があって、色合いも何か落ち着きを感じさせるたくさんの色たち。その配列を見てるだけで、何となく心が和むと言うか。。。今でも「琥珀色」とか「亜麻色」とか「浅葱色」なんて名前は、多少残されているけど。
今って、色んな面で季節感が無くなってきてる。野菜にしても「旬」の物が一番美味しいんだけれど、いつでも手に入るようになってるし、地球温暖化のせいで、日本独特の四季が崩れつつあるような、そんな今。。。 だから、せめて自分の視界だけは季節を感じられるようでありたいと。何か小物を選ぶ時とか、ブログの壁紙一つにしても、なるべく和の色から、その季節に合った配色を選んだりしたいなぁーなんて。
室井サン、一庶民、一主婦の興味なんて、こんなもんですよ。悲しいかな。笑
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とにかく、一言 「お疲れさまでした」 ですね。
室井さんの最後のブログのUPに、こう書かれていた。
「あたしを支えてくれるみんなが、みんなを支えてくれるそのまわりの人が、そのまわりの人が大切に思っている人たちが、一年間に百回笑うとしたら、それを百一回にしたい。十年間に百回不安に思うことがあったら、それを九十九回にしたい。」
少なくとも私は、室井さんのブログとの出会いで、また、室井さんとの出会いで、何度も笑えたし、ウレシイキモチにもなったし。 また、不安だった事も少し減った気がする。 これからの約束として書かれているけど、私はもう十分感謝している。
今後、室井さんがどのような構想をされているのか、まだまだ不透明ではあるけれども、私は、一読者として、一ファンとして、これからも室井さんを見続けていくと思う。 あまり「サヨナラ」は言いたくないし、やっぱり「じゃあ、また!」かな…?
本にも掲載してもらえ、私の中での大きな分岐点になった事には間違いない。
室井さん、ホント、ホントありがとう! じゃあ、また!
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室井佑月さんが、ココログのブログを閉鎖されるので、ここ3ヶ月も書いていなかったのだけれど、書き記しておこうと思った。
別の所のブログで文章を書き始めたのが、偶然、室井さんがブログで『LOVE LOVE LOVE』のトラバを募集しだした頃。 それまで日々淡々と過ごし、家事を子育てに追われ、3年ほど前に「過換気」「パニック障害」の発作を経験し、すっかり「ウツ」となり、「対人恐怖」「強迫障害」などなど、色んな症状を引き起こしていた。
それ以降、特定のヒトとしか会えず、2005年の初めにネットとの付き合いが始まった。
最初は検索にしか使わず、6月頃から、ようやくブログを持つ事となった。そこからネットの世界の友人の輪が一気に広がっていった。そして、室井さんのブログに辿りついた。そして、あの本の募集。 本を読むコトが大好きだっただけで、果たして自分に書く力があるのかどうか、少し試してみたくなった。締め切りまでに数本トラバしてみた。
結果、どうした事か、私の文章が選ばれていた。
その頃には、他で全くの私日記や詩・散文を書くためのもの、などなど、色んな用途別にブログをいくつか抱えていた。 このブログは、基本的にトラバ専用に近かった。こんなネット生活をしていて、自分では充実していると思い込んでいた。中身は空っぽになっていっているにもカカワラズ・・・
いわゆる「ネット依存」という状態である事に気付かず、さらに心神的パワーは弱まりつつあった。 飲まなければいけない薬も飲まず、どんどんヒドくなっていく症状。 私は心療内科を替え、きちんと「ケースワーカー」の対話時間を持てるトコロに通い始めた。その方との出会いで、症状は少しずつだけれど、快方に向かっているようだ。 まぁ、そうでなければ、あの本の発刊記念打ち上げにすら、参加できていなかっただろうし・・・。
今は、PCに向かう時間も決め、ココ以外のブログで、本当に普段の日記を書き、詩や散文を書いたりしている。 そして、今流行りのSNS、それに似たものにも入ってはいるが、自分の時間との折り合いを付けて、マイペースで出来ていると思う。
室井さんのブログのおかげで、色んな方々とも知り合いになれたコトも、私の中で大切な経験となった。
さて、本題。室井さんが最後に何か質問やコメントをとおっしゃっている。
コメントは別に何もない。この長きに渡り、執筆とコメンティター業の多忙な中、本当にオツカレサマでしたということだけ・・・かな。 読み手である私たちに、ご自身の経験を交えて、色んなコトを教えていただいたような気がする。 室井さんの喜怒哀楽、子育てに関する考え、命とは、友人の大切さ・・・色んなコトを感じるコトが出来た。 心から感謝しています。
質問・・・このブログが無くなったら、室井さんとの細い細い糸のような連絡経路が無くなるコトが、気がかりかなぁ・・・。 あの打ち上げの時も励ましてもらったし・・・。 ドナタかが書かれていたけど、「このブログは」という意味深な書き方に望みを託そう。 本当にお疲れさまでした。 これからも元気な室井さんをテレビを通じて応援しています。
追記。
もし、このブログ閉鎖が、単なる契約などの理由でなく、室井さんの意思によるものならば・・・。 女性って、色んな局面に出くわした時、何かしらの変化、決意をするものだと思う。 ひょっとして・・・ 何かオメデタイご報告でもありそうなのでしょうか?笑
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今まで「あぁ、アレが書きたいなぁ・・・」とか思ってたけど。
書きたい事がない。 脳ミソがやられたのかなぁ・・・?
なーんだか、気分が乗らないんだなぁ。 なぜだ??
そんな時は、書かないに限る。 そんなモンだろなぁ。
6月は行事がイッパイありすぎて、頭が回ってないのかも。
ってな訳で、このブログ、ほとんど休みがちになる予感。
気がむいたら、また書こっと。
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室井姐さんが引越し準備に入ったらしい。 ブログで書かれている。
私は結婚するまで、引越しというものを経験したことがなかった。 だから、最初の引越しには、とても辟易した記憶がある。 おまけにお姑さんまで出てきて、あーだのこーだの・・・。 今のマンションに移ったときも、またもや、お姑さんが出てきた。 まぁ、妊娠8ヶ月のお腹では、とてもじゃないが、重いものを持てない。 感謝すべきなのだけれど、 いまだに、発掘出来ていないモノもあったりするし、たまに、「あ、こんな所にこんなモノが!」という発見もある。
あぁ、使い勝手の悪い我が家。。。 早くなんとかせねば! と思いつつ、早7年が経つ。 それでも主婦か~~!と自分でも情けなく思う。 とにかく・・・
引越しは大嫌いだ~~!! と叫んでみた。 終わり。
あ、そうそう、駆け引きするような恋愛は、もうコリゴリだなぁ。。。(苦笑)
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疲れて寝た時には、必ずイヤな夢を見る。起きると決まって涙が出ている。けれども、ここ数日は少し違っている。10年前に逝ってしまった母が、夢に出てくるのだ。それも寂しげに微笑んでいる母の姿ばかりだ。
母は死ぬまで苦労の絶えない人生を過ごした。私が3歳になる少し前の、突然の祖母(母の実母)の死の後、父の貞淑な妻、私と姉の母親の役目を完璧にこなしつつ、同じ敷地内に住んでいた、落ち込み続ける祖父・弟妹の身の回りの世話までしていた。
そして私が二十歳を過ぎた頃、母は腹部の異状に気付き、総合病院で検査を受けた。病名は大腸ガンであった。しかし母の強い希望により、父は私に「良性のポリープ」だと偽り、その闘病生活の2ヶ月、私は母の病状に気遣う事無く、身勝手な社会人生活を送っていた。そして私は今の主人と結婚し、あっさりと実家から出て行った。
一般的にも言われているとおり、ガンは5年以内に再発の可能性が高く、それを過ぎれば少しは安心できるらしい。それも通院をしながら、ゆったりとした生活をしていればの話だろう。しかし母の場合それが出来なかった。退院し1年が経った頃、祖父が脳梗塞を起こし、幸いと言うのだろうか、寝たきり程にはならずとも、半身麻痺の後遺症が残った。母は祖父をリハビリのため、近くの病院まで肩を貸しながら付き添い、夜はトイレに起きるのが難しい祖父のため、離れの祖父の家で、柱にもたれてウトウトするだけの毎日を余儀なくされていた。そんな過酷な生活の中、心配していた事が起きた。再発である。緊急手術の甲斐も無く、開腹するだけで施しようのない状態だった。
その時期、私は長女を妊娠していた。偶然の悪戯なのか、その出産予定日が母の余命宣告の時期よりも、少しだけ遅かったのだ。ここで、また母は父を巻き込んで、私に嘘をついた。「お腹の子供に障るといけないから、事実を言わないように」と父に告げていた。しかし父の判断で、私は事実を知らされた。知らされた上で「知らない演技をしてくれ」と父に言われ、私は複雑な胸中で母との束の間の日々を過ごす事になった。母は病院から最期の退院の許可が下り、年末に帰宅していた。母の顔を見て安心したかのように、また迷惑がかからないようにであろうか、母の帰宅後すぐ、愛犬が眠るように死んでいった。母の手作りの餌を嬉しそうに食べた次の日に・・・。
最期になるであろう正月のために、私は懸命におせち料理を作った。お腹が大きくなっても、自転車に乗って実家に足繁く通った。食が細くなった母のために少しでも食べてもらおうと、好きな食べ物を作ったり買ったりして持参した。そんな時期はそう長くは続かなかった。私は出産予定日より2週間早い4月上旬、夜中から陣痛が始まり、次の日の夜に夫の立会いのもと出産した。母は辛い身体をおして病院まで来てくれた。6日後に退院し、赤ん坊を連れすぐに実家に駆けつけた。起き上がることも困難になっていた母は、その直後に家には居られなくなり入院した。今思えば、長女は「おばあちゃん孝行」をしてくれたのだと思う。出産予定日に生まれていたら、実家で母に触れてもらう事は出来なかったのだから・・・。
生まれたての赤ん坊を、総合病院に連れて行く事を周囲は反対した。どんな病気の人がいるかも分からないからだ。しかし私は夫に懇願し、毎土日に母に長女を会わせに連れて行った。そして、赤いカーネーションを母に贈れる最期の母の日、それでも母は「花の生け方もメチャクチャやね」と苦笑しつつ言い、大量に買って行った花束を幾つかの花瓶に上手く飾っていた。その時すでに母が余命宣告された日は、とうに過ぎていた。
やっと長女の生後百日を迎え「食べ初め」をすませたと、病院に報告に行き、私は演技で「早く治って退院してよ!この娘の世話も頼むよ!」と、涙を堪えて私は言った。「そうやね、もうすぐ退院するから」と母。しばし会話した後、帰ると告げ病室を出たが、一言言い忘れた事を思い出し、ノックをせずに病室の扉を開けると、そこには泣きじゃくる母の痛々しい姿があった。母が気付かなかったので、そのまま私も泣きながら病院を後にした。母の入院中、会社勤めをしながら父は朝夕と病院に通い、身の回りの世話をしていた。父も当然ながら痩せていった。その父から「ママの様子がおかしい」と連絡があった。泣きじゃくっていた母を見た日の2日後の7月の暑い日だった。
駆けつけると既に意識混濁状態の母の姿がそこに見えた。まるで長女の百日を待っていたかのように、安心したかのように意識をなくしてしまっていた。私の事を心配するあまり、気力で生きていたのだろう。長女の世話のために義母に来てもらい、姉と私と母の妹二人と4人で交代しながら、24時間の付きっ切りの世話をした。だが私が付き添いの時に限って、母は息を荒立てるのだ。たとえ話せなくても目と耳は機能していたのだろう。「私に付き添ってないで、早く帰って赤ん坊の世話をしなさい」と言わんばかりに。そんな日々が10日も続いた7月の末の深夜、昼に私と叔母と付き添いを交代した、姉から危篤の連絡が入った。急いで夫の車で病院に着くと、既に母の顔には白い布が掛けられていた。父も間に合わなかったのだ。母は気丈な叔母と姉の付き添いの時を選んで、息を引き取ったようにさえ思えた。父は白い布をそっと取り、頭を撫でながら「よく頑張ったなぁ、ホンマに頑張ったなぁ。もう楽になったか。しんどかったなぁ」と言っていた。私は動く事すらできず泣き崩れそうになっていたが、「泣くな。今からやる事が山ほどある。泣いたらママも安心できないよ。」と姉が私の手をグッと握り、看護士さんとの後の事を相談し始めた。
私にもしも夫も娘も居なかったら、私は最愛の母の後を追っていたと思う。その時でさえ、棺桶に一緒に入りたいとさえ思えたからである。
そんな母の夢を見ている。今の私の状態を嘆いてるのだろうか。それとも私の心を察して、あちらに呼んでいるのか。私は呼ばれてもいいかと思っていた頃もあった。それだけ私の心は病んでいたのだ。
しかし、今は、早くして亡くなった母のためにも、そして、なにより家族のために、自分のために、しっかりと地に足をつけて立ち、少しずつでもいいから、前に進んでいこうと思っている。 それが何よりの母への親孝行だと思う。
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今日は母の日だった。 私の母親は11年前、長女が生まれた直後に病死してるから、毎年、白いカーネーションを仏前に供えていた。
白いカーネーションは、お花屋さんにとっても売行きが微妙なんだろなぁ、仕入れる数が少ないみたいなんだなぁ。。。 いつもは前日か当日の朝には予約の電話をしてたのに、今年、忘れてしまってた。。。
来月の父の日に、他の花束を供えておこう。 父親には日本酒かな。
そうや、昨日から娘×2がコソコソと何か本を見ながら相談しているのは、ウスウス分かっていた。 でも知らん顔でいた。 で、昨日の夕方に夫と一緒に買い物に行っていた。 その間に何の本か見たら「ホットケーキミックスで作れる簡単お菓子」なる冊子。 また知らん顔しておいた。
娘×2は、オヤツの時間に間に合うように、13時前からキッチンでバタバタと何か始めた。 初めてなのに、2品作るみたいだった。 夫にも火を使う所は手伝ってもらうみたいだった。
寝室でボーっと待つこと2時間半。15時過ぎに呼ばれた。 「オーブントースターで出来るクッキー」と「ホットケーキ・デコレーション付き」の2品作ってくれた。 今まで料理関係の手伝いなんか、ほとんどしなかった娘たちが、必死で作ってくれた「母の日のプレゼント」・・・。
涙が出そうになりながら、必死でこらえて全部食べた。 途中で「あ、紅茶も入れたげるはずやったのに・・・」と手作りの布製のコースターまで作ってたので、すごく残念がっていた。 紅茶なんか飲まなくてもよかった。 気持ちだけで十分だったから。。。
二人ともすごく疲れたと思う。 こんな状態(心療内科に通院中)の母親、何も立派な事、十分な事をしてやれない母親に、こんなに頑張って母の日のプレゼントをしてくれた。 こんなに嬉しい母の日は一生の思い出になるだろう。
ただ、失敗したのは、せっかくのクッキーとホットケーキの写真を撮るのを忘れていた。。。 あぁ、大ショックだ。。。
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あの「LOVE LOVE LOVE打ち上げ」から、こんな波紋が起こるとは思いもよらなかった。 ま、そりゃそうだ、某氏が出てこなければ、こんな騒ぎにもなってはいないだろうし、室井姐さんが気分を害される事もなかったんだから。
先日にも書いたように、多少の不愉快な思いはあったが(マネージャーさんの件、もう済んだ事だ)、私はあんな貴重な体験が出来た事に満足しているし、姐さんに逢えた事、おしゃべり出来た事、ブログの方々とお会いできたこと等、何も不満には思っていない。 結局、こちらがお客様気分でいたのだから、もっと積極的になればよかったのだから。あの場(例えば、受付など)にユニセフの募金箱を置いておくとか、後から色々と思ったりもした。
私はとりあえず、少しだけど本の紹介をして購入してもらった。叔母にも進呈した。
ただ、一つ気になるのは、募金先が「ユニセフ」という点である。 以前に聞き及んだ事があるのだが、ユニセフへの募金のうち、実際に困っている人々に届く割合が、非常に少ないと言う事。 半分以上がユニセフ本体の運営費用となるとも聞いた事がある。 他には「国際飢餓対策機構」なるものもある。 ココは比較的良心的な団体で、かなりの割合で飢餓状態の人々に届くらしい。
もし、第2弾が出来るとして、またユニセフなのかどうかが気になる所。 ま、姐さんたちの思いが伝わるかどうかが問題であって、お金の多少は関係ないと言えば関係ないのかも。。。
とにかく、私は心療内科の通院が月曜にあるので、新幹線に一人で乗れた事を、ケースワーカーの先生に報告してこようと思っている。 「過去の高い位置に居た自分を目標にせず、今が普通だと思うようにしなさい」と言われているので、一歩一歩、ゆっくりでも前に進めたら、私としては満足なのだから。 その一歩が室井姐さんのお陰であることは確かなのだから。
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