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2006年5月

2006-05-23

引越しかぁ。。。

室井姐さんが引越し準備に入ったらしい。 ブログで書かれている。

私は結婚するまで、引越しというものを経験したことがなかった。 だから、最初の引越しには、とても辟易した記憶がある。 おまけにお姑さんまで出てきて、あーだのこーだの・・・。 今のマンションに移ったときも、またもや、お姑さんが出てきた。 まぁ、妊娠8ヶ月のお腹では、とてもじゃないが、重いものを持てない。 感謝すべきなのだけれど、 いまだに、発掘出来ていないモノもあったりするし、たまに、「あ、こんな所にこんなモノが!」という発見もある。

あぁ、使い勝手の悪い我が家。。。 早くなんとかせねば! と思いつつ、早7年が経つ。 それでも主婦か~~!と自分でも情けなく思う。 とにかく・・・

引越しは大嫌いだ~~!!  と叫んでみた。 終わり。

あ、そうそう、駆け引きするような恋愛は、もうコリゴリだなぁ。。。(苦笑)

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2006-05-22

母。

 疲れて寝た時には、必ずイヤな夢を見る。起きると決まって涙が出ている。けれども、ここ数日は少し違っている。10年前に逝ってしまった母が、夢に出てくるのだ。それも寂しげに微笑んでいる母の姿ばかりだ。

 母は死ぬまで苦労の絶えない人生を過ごした。私が3歳になる少し前の、突然の祖母(母の実母)の死の後、父の貞淑な妻、私と姉の母親の役目を完璧にこなしつつ、同じ敷地内に住んでいた、落ち込み続ける祖父・弟妹の身の回りの世話までしていた。
 そして私が二十歳を過ぎた頃、母は腹部の異状に気付き、総合病院で検査を受けた。病名は大腸ガンであった。しかし母の強い希望により、父は私に「良性のポリープ」だと偽り、その闘病生活の2ヶ月、私は母の病状に気遣う事無く、身勝手な社会人生活を送っていた。そして私は今の主人と結婚し、あっさりと実家から出て行った。

 一般的にも言われているとおり、ガンは5年以内に再発の可能性が高く、それを過ぎれば少しは安心できるらしい。それも通院をしながら、ゆったりとした生活をしていればの話だろう。しかし母の場合それが出来なかった。退院し1年が経った頃、祖父が脳梗塞を起こし、幸いと言うのだろうか、寝たきり程にはならずとも、半身麻痺の後遺症が残った。母は祖父をリハビリのため、近くの病院まで肩を貸しながら付き添い、夜はトイレに起きるのが難しい祖父のため、離れの祖父の家で、柱にもたれてウトウトするだけの毎日を余儀なくされていた。そんな過酷な生活の中、心配していた事が起きた。再発である。緊急手術の甲斐も無く、開腹するだけで施しようのない状態だった。

 その時期、私は長女を妊娠していた。偶然の悪戯なのか、その出産予定日が母の余命宣告の時期よりも、少しだけ遅かったのだ。ここで、また母は父を巻き込んで、私に嘘をついた。「お腹の子供に障るといけないから、事実を言わないように」と父に告げていた。しかし父の判断で、私は事実を知らされた。知らされた上で「知らない演技をしてくれ」と父に言われ、私は複雑な胸中で母との束の間の日々を過ごす事になった。母は病院から最期の退院の許可が下り、年末に帰宅していた。母の顔を見て安心したかのように、また迷惑がかからないようにであろうか、母の帰宅後すぐ、愛犬が眠るように死んでいった。母の手作りの餌を嬉しそうに食べた次の日に・・・。

 最期になるであろう正月のために、私は懸命におせち料理を作った。お腹が大きくなっても、自転車に乗って実家に足繁く通った。食が細くなった母のために少しでも食べてもらおうと、好きな食べ物を作ったり買ったりして持参した。そんな時期はそう長くは続かなかった。私は出産予定日より2週間早い4月上旬、夜中から陣痛が始まり、次の日の夜に夫の立会いのもと出産した。母は辛い身体をおして病院まで来てくれた。6日後に退院し、赤ん坊を連れすぐに実家に駆けつけた。起き上がることも困難になっていた母は、その直後に家には居られなくなり入院した。今思えば、長女は「おばあちゃん孝行」をしてくれたのだと思う。出産予定日に生まれていたら、実家で母に触れてもらう事は出来なかったのだから・・・。

 生まれたての赤ん坊を、総合病院に連れて行く事を周囲は反対した。どんな病気の人がいるかも分からないからだ。しかし私は夫に懇願し、毎土日に母に長女を会わせに連れて行った。そして、赤いカーネーションを母に贈れる最期の母の日、それでも母は「花の生け方もメチャクチャやね」と苦笑しつつ言い、大量に買って行った花束を幾つかの花瓶に上手く飾っていた。その時すでに母が余命宣告された日は、とうに過ぎていた。
 やっと長女の生後百日を迎え「食べ初め」をすませたと、病院に報告に行き、私は演技で「早く治って退院してよ!この娘の世話も頼むよ!」と、涙を堪えて私は言った。「そうやね、もうすぐ退院するから」と母。しばし会話した後、帰ると告げ病室を出たが、一言言い忘れた事を思い出し、ノックをせずに病室の扉を開けると、そこには泣きじゃくる母の痛々しい姿があった。母が気付かなかったので、そのまま私も泣きながら病院を後にした。母の入院中、会社勤めをしながら父は朝夕と病院に通い、身の回りの世話をしていた。父も当然ながら痩せていった。その父から「ママの様子がおかしい」と連絡があった。泣きじゃくっていた母を見た日の2日後の7月の暑い日だった。

 駆けつけると既に意識混濁状態の母の姿がそこに見えた。まるで長女の百日を待っていたかのように、安心したかのように意識をなくしてしまっていた。私の事を心配するあまり、気力で生きていたのだろう。長女の世話のために義母に来てもらい、姉と私と母の妹二人と4人で交代しながら、24時間の付きっ切りの世話をした。だが私が付き添いの時に限って、母は息を荒立てるのだ。たとえ話せなくても目と耳は機能していたのだろう。「私に付き添ってないで、早く帰って赤ん坊の世話をしなさい」と言わんばかりに。そんな日々が10日も続いた7月の末の深夜、昼に私と叔母と付き添いを交代した、姉から危篤の連絡が入った。急いで夫の車で病院に着くと、既に母の顔には白い布が掛けられていた。父も間に合わなかったのだ。母は気丈な叔母と姉の付き添いの時を選んで、息を引き取ったようにさえ思えた。父は白い布をそっと取り、頭を撫でながら「よく頑張ったなぁ、ホンマに頑張ったなぁ。もう楽になったか。しんどかったなぁ」と言っていた。私は動く事すらできず泣き崩れそうになっていたが、「泣くな。今からやる事が山ほどある。泣いたらママも安心できないよ。」と姉が私の手をグッと握り、看護士さんとの後の事を相談し始めた。

 私にもしも夫も娘も居なかったら、私は最愛の母の後を追っていたと思う。その時でさえ、棺桶に一緒に入りたいとさえ思えたからである。

 そんな母の夢を見ている。今の私の状態を嘆いてるのだろうか。それとも私の心を察して、あちらに呼んでいるのか。私は呼ばれてもいいかと思っていた頃もあった。それだけ私の心は病んでいたのだ。 

 しかし、今は、早くして亡くなった母のためにも、そして、なにより家族のために、自分のために、しっかりと地に足をつけて立ち、少しずつでもいいから、前に進んでいこうと思っている。 それが何よりの母への親孝行だと思う。

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2006-05-15

母の日。

 今日は母の日だった。 私の母親は11年前、長女が生まれた直後に病死してるから、毎年、白いカーネーションを仏前に供えていた。

 白いカーネーションは、お花屋さんにとっても売行きが微妙なんだろなぁ、仕入れる数が少ないみたいなんだなぁ。。。 いつもは前日か当日の朝には予約の電話をしてたのに、今年、忘れてしまってた。。。

 来月の父の日に、他の花束を供えておこう。 父親には日本酒かな。

 そうや、昨日から娘×2がコソコソと何か本を見ながら相談しているのは、ウスウス分かっていた。 でも知らん顔でいた。 で、昨日の夕方に夫と一緒に買い物に行っていた。 その間に何の本か見たら「ホットケーキミックスで作れる簡単お菓子」なる冊子。 また知らん顔しておいた。

 娘×2は、オヤツの時間に間に合うように、13時前からキッチンでバタバタと何か始めた。 初めてなのに、2品作るみたいだった。 夫にも火を使う所は手伝ってもらうみたいだった。

 寝室でボーっと待つこと2時間半。15時過ぎに呼ばれた。 「オーブントースターで出来るクッキー」と「ホットケーキ・デコレーション付き」の2品作ってくれた。 今まで料理関係の手伝いなんか、ほとんどしなかった娘たちが、必死で作ってくれた「母の日のプレゼント」・・・。

 涙が出そうになりながら、必死でこらえて全部食べた。 途中で「あ、紅茶も入れたげるはずやったのに・・・」と手作りの布製のコースターまで作ってたので、すごく残念がっていた。 紅茶なんか飲まなくてもよかった。 気持ちだけで十分だったから。。。

 二人ともすごく疲れたと思う。 こんな状態(心療内科に通院中)の母親、何も立派な事、十分な事をしてやれない母親に、こんなに頑張って母の日のプレゼントをしてくれた。 こんなに嬉しい母の日は一生の思い出になるだろう。

 ただ、失敗したのは、せっかくのクッキーとホットケーキの写真を撮るのを忘れていた。。。 あぁ、大ショックだ。。。
 

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2006-05-13

これからを考えよう。

 あの「LOVE LOVE LOVE打ち上げ」から、こんな波紋が起こるとは思いもよらなかった。 ま、そりゃそうだ、某氏が出てこなければ、こんな騒ぎにもなってはいないだろうし、室井姐さんが気分を害される事もなかったんだから。

 先日にも書いたように、多少の不愉快な思いはあったが(マネージャーさんの件、もう済んだ事だ)、私はあんな貴重な体験が出来た事に満足しているし、姐さんに逢えた事、おしゃべり出来た事、ブログの方々とお会いできたこと等、何も不満には思っていない。 結局、こちらがお客様気分でいたのだから、もっと積極的になればよかったのだから。あの場(例えば、受付など)にユニセフの募金箱を置いておくとか、後から色々と思ったりもした。

 私はとりあえず、少しだけど本の紹介をして購入してもらった。叔母にも進呈した。

 ただ、一つ気になるのは、募金先が「ユニセフ」という点である。 以前に聞き及んだ事があるのだが、ユニセフへの募金のうち、実際に困っている人々に届く割合が、非常に少ないと言う事。 半分以上がユニセフ本体の運営費用となるとも聞いた事がある。 他には「国際飢餓対策機構」なるものもある。 ココは比較的良心的な団体で、かなりの割合で飢餓状態の人々に届くらしい。 

 もし、第2弾が出来るとして、またユニセフなのかどうかが気になる所。 ま、姐さんたちの思いが伝わるかどうかが問題であって、お金の多少は関係ないと言えば関係ないのかも。。。

 とにかく、私は心療内科の通院が月曜にあるので、新幹線に一人で乗れた事を、ケースワーカーの先生に報告してこようと思っている。 「過去の高い位置に居た自分を目標にせず、今が普通だと思うようにしなさい」と言われているので、一歩一歩、ゆっくりでも前に進めたら、私としては満足なのだから。 その一歩が室井姐さんのお陰であることは確かなのだから。

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2006-05-12

取り急ぎご報告。

 一昨夜、昨夜と2日連続で、変なトラバが入りましたので、「コメント・トラバ」の設定を変更しました。 すぐには反映されず、私が拝見してから公開されるという方法(ココログ・ユーザーの方々はご存知かと思いますが・・・)にしております。

 ご気分を害されるといけないので、先にお知らせしてます。 あまりにも酷いトラバだったもので・・・。 昼まで語学の習い事がありますので、取り急ぎのUPだけで失礼します。

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2006-05-10

「LOVE LOVE LOVE」打ち上げ②

 さて、前回書いたように、10人ほどで舞台そでの出口に近い処に集まっていた時、室井姐さんがお手洗いのためステージから降りていらした。 で、みんなが集まってたので通れず。。。そこで、みんな順番に「○○です」とハンドルを言って、簡単に自己紹介をww。

 私は最後に「ニコです・・・」と言ったら、何故か「あぁ~ニコ~~! 何か可愛い格好してきちゃってぇ~~!!」と言われた。。。「年甲斐も無く」という意味なのか??(笑) その後の流れは他の方々が書いてらっしゃるので、割愛。。。(トークやら、お悩み相談やらのクダリ、その他モロモロ)

 なぜか流れで、姐さんの座るところに上がって、サインをしてもらい写真を撮ったり、喋ったりという列が出来てしまっていた。 私と友人はその列がある程度短くなるまで、待ってから列に。。。 とうとう私の順番がやってきた。 とりあえずサインを先にしてもらってから、2ショット写真を撮り、しばしのあいだ話せた。 私が関西だと知って、関西好きな姐さんから、ありがたい事に親切な言葉をかけていただいた。 ちょっと内緒っぽいかな?

 でもその嬉しさも半減した。いや、ゼロになったに近かった。 その話が本当か「アベさん」の言うところの「リップサービス」なのかは分からないけど、そう言ってくれた姐さんの優しさが嬉しかった。 なのに、その「アベさん」なる方のお陰でその気持ちが色あせた。。。 コレだけは書いてもいいよね、スーパードリーマー・茂樹君。 茂樹君は男らしく、ブログでも全然触れていない。 でも私はあえて書く! 書きます!! それまですごく酔っ払ってたのは事実かも知れない。 でも室井姐さんの指令で、私と茂樹君を呼びつけて、人目につかなくなると態度が一変した。 一言一句は書かないが、とにかく業界っぽい喋り方で、なおかつ人を見下したような態度。 確実に私の方が年上だと分かっていながらの「タメ口以下」の話し方。 私たちを「しつこい室井ファン」のような言い方をして、追い払おうとした言葉の投げつけ。 

 まぁ、あれくらいでないと、マネージャーは務まらないのだろうけど。 神林さんはその点完璧な秘書の務めを果たされていた。 私も数年ではあるが、外資系大企業の秘書と呼ばれる職についていたから、神林さんの行動によく目がいった。 私も現役で働いていた頃は、接待の席に連れて行かれたり、部内の飲み会があれば、ホステスのような役もさせられたりもした。 お酒が入っても仕事の相手の前では、平然としていたものだ。 神林さんの動きはすごくスマートで、なおかつ、ある時は陰になり日向になり、周りにも気配りをされていた。 それに比べて、いくら仕事で来ていなくても、いくら酔っ払っていても、自分自身の言動が、相手を傷つけるかどうかくらいは、認識していなければと思うのだけれど。 それと、いる女性いる女性の手を握って「僕と付き合いませんか」などと言って廻るのはどうかと思った。 こんな主婦にまで言ったのだから。(この件に関しては、くぬさんが少し触れられてます・・・苦笑) 

 これは室井姐さんのブログ更新を受けて書いているので、室井さんの気持ちも分かった上で書いている。 姐さんが「全部書いてくれた方がすっきりする」と書かれてるので、書いている。 あぁ、すっきりした。

 進行やイベント自体には何の異議もなく、あんな貴重な体験をさせていただいた室井姐さん、織茂様ならびに関係者の方々に、深く感謝しております。 もし次の機会があれば、素人ながらも、プロ並みのイベンターのような司会進行をできる男性の友人を連れて行きます!! 第2弾も期待しております!! 室井姐さん、やりましたねっ!!

 追記、神林秘書さま、お預けした件は、お任せします。 もう失くされてるかな??(笑)

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「LOVE LOVE LOVE」打ち上げ①

 まず、最初にことわっておこう。。。私はPC初心者な上、夫がコンピュータ関係の仕事なので、機械系はすべて夫にお任せ状態。。。それとともに、先日携帯の写メ機能がぶっ壊れて、デジカメを持って行って、いろいろ写したのだけれど、それをPCに取り込む方法すら知らないのである。。。 だから写真はもしUPするなら、かなり後日になりそうだ。

 「もし~だったら。。。」と考えてしまう性格なため、1泊なのに荷物がすごい重くなった事が、すべての敗因だった。 東戸塚に住む旧友に逢うために昼前までに東京に到着する新幹線を予約していた。 でも東京。。。すごいトコだった。 路線図からして迷路だった。 東戸塚で旧友と逢えたのがすでに13時ごろ、時計を見忘れていて、あわてて東戸塚を出たのが15時45分。 泊まらせてもらう約束の五反田近辺に住む友人宅に、重い荷物を置いて、新宿に二人で向かった。 ほとんど競歩だった。 新宿駅に着いた時間が、ちょうど18時。 すでに遅れている。。。 荷物を新宿駅のコインロッカーにでも入れればよかったのだけれど、村上氏の「コインロッカーベイビーズ」の記憶や、最近コインロッカーに変なものが入ってた事とかも耳にしてたために、入れるのがイヤだった。 それも遅れた一原因なのだなぁ。

 新宿歌舞伎町。。。とてもすごい処だった。。。一筋道を間違え、エラク怖ろしい場所に入り込んでしまった。 そんなハプニングで、会場に着いたのは15分ほど過ぎた頃だった。

 すでに乾杯も終わり(冬薔薇さんの記述で知りました、汗)壇上の方々が、室井姐さんしか分からない状態で、トークが始まっていた。 おまけに編集者の方からのメールでは「お席は確保してあります」となっていたにも関わらず、ほとんど満席状態。 受付では「並ばれた順になってます」と言われたし。。。 「ドコに座れっちゅーねん!」と内心思いつつ、会場奥の座敷状になった処に座った。 すでに足は丸太状態にむくんでいた。 

 想像してた会とは大幅に違っていたので、少々戸惑いもあった。 ドコに390Xさん経由でお知り合いになれた、他の方々がいらっしゃるのかも分からない!! かの「神崎じぃさんはドコにいらっしゃるの~~?」と、前半のトーク&お悩み相談も、ほとんど耳にも入らずで。。。(失礼しました) で、素敵なお着物姿の女性に「特別なオーラ」を感じ、出入り口にいらした時に、失礼ながらお声をかけさせていただきました。 冬薔薇さんでした!!ビンゴでした! やはり何か感じるものがあったような。。。 その前にスーパードリーマーさんが、姐さんにお酒の差し入れをしていたので、お顔を記憶!

 すると、その冬薔薇さんの周りにどんどんとお名前を存じ上げている方々が集まっていらして。。。 そこで皆さんのお名前を持参した本にサインしていただけました! 私からすれば、姐さんとお会いできるのと同じくらい、他のブログを持たれている方々とお会い出来るのも感激の極みだったものでして。。。唯一390Xさんとお会い出来なかったのが残念でしたが、コングBAさん、イチゴジャムちゃん、もちゃこさん、ヤースさん、MA$AYOさん、くぬさん、そして最後に、ある方のおかげで神崎さんともご挨拶出来た事、それらが、姐さんとお話できた事の次に、何よりの私の収穫でした。(神崎さんは、ホントに神崎さん?って感想でした!)

 次の更新に続く。。。

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一応、私のこと。

 室井姐さんの本の打ち上げの話や行った感想を書く前に、私自身の事を書いておこうと思う。 まずそれを知ってもらった上で、これからの更新記事を読んでもらった方が、「あぁ、だからそう思うのか」などと、分かってもらいやすいかなぁ。。。という訳で。

 元々あの企画に出そうと思ったのは、母へのラブレターの内容。 愛すべき、そして憎らしき亡き母へのラブレター。。。

 その母が亡くなった後、怒涛のごとく、私の周りで色んな問題が発生した。 そんな中、3年前に起きた「過換気障害」。。。その直後に「パニック障害」。。。次々と「~障害」と言われる症状があらわれてきた。 対人恐怖、高所恐怖、閉所恐怖、強迫障害などなど。。。 

 先日お会いした、室井姐さん含め、他のお話できた方々は信じられないでしょう。 まぁ、症状もかなり落ち着いてきているのと、薬の服用のおかげで、あの状態であの場に行けたし、居続けられたのもあり。。。 

 実は東京行きまでのGW初日から、ずっと微熱もあった。 子供でいう知恵熱のような、もしくは、遠足前の興奮して寝られない子供のような。。。 要は精神的に非常に脆いんだなぁ。 

 そういった状態のまま、一人新幹線に乗って東京へ行ったのだから、自分を誉めてやりたい気分にもなった。 なぜなら、つい1ヶ月前までローカルな電車にもほとんど乗れず、乗る必要のある時は、各駅停車に乗らなければ、途中で呼吸のリズムがおかしくなっていたのだから。 

 ある意味、そう考えれば、あの打ち上げに行く!行きたい!皆さんと会いたい!という気持ちが背中を押して、自分を奮い立たせてくれたんだと思う。 かなりケースワーカーの先生とも相談してたし。。。「何事も負担だと思った時点で止めなさい」とも言われてるから、東京行きもかなりの不安を抱えていたのは事実。 それで、東京に住む女友達に付いて行ってもらった次第なのだなぁ。。。

 ざっと書いたらこんなモンかなぁ。。。 さ、次は本題の東京行きの話。。。

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2006-05-02

真夜中の夫婦喧嘩。

 昨日、いや今日の真夜中の3時、夫が帰宅後GWの話題になった。 私は7日の東京行きがあるから、早く決めてしまいたかった。 それで、こんな遅くまで夫の帰りを待っていた。(普段は待たない!)

 夫の休みはカレンダー通り。 3~7日までの5日間。 盆と正月は、ほぼ夫の実家に帰ってるのだから、たまのGWくらい、のんびりするなり、近場の行楽地に子供と出かけたいところ。。。 おまけに衣替えもしておきたいという私なりの予定もあった。 だから、その旨を伝えたところ、要は「急に東京行きなんか予定に入れるから、ややこしい事になった」というのが、夫の言い分。。。 挙句には逆ギレで、「もう俺と子供だけで、実家に帰る! どうせ、あっちに帰りたくないだけやろ!」とまで言われた。 

 決して帰りたくないわけではない。 むしろ、食事もお義母さんが用意してくれるし、子供たちに色々と買ってもらえるし、そんな好都合な事はないのだ。 たかが車で2時間半のところにある実家に、何故何泊もしたがるんだろか。 

 いや、多分私の東京行きが、面白くないんだろなぁ。。。と密かに思っている。。。

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