雑記

2010-09-12

どうしたものか。

ここって、確か、半年更新しなかったら、削除されるんだっけ?

mixiやらTwitter、アメブロで事足りてるだけに、どうしたもんだか。

 

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2008-10-09

アカウント削除防止。

あぁ、1年書かないと、ココログのアカウントが削除される。

ちょうど、ここの使い道を思案中。

ここでは日常生活っぽい日記を書くスペースにはしたくないし。。。

とりあえず、これで、しばらく考えるとしよう。。。

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2006-06-07

書くことない。

今まで「あぁ、アレが書きたいなぁ・・・」とか思ってたけど。

書きたい事がない。 脳ミソがやられたのかなぁ・・・?

なーんだか、気分が乗らないんだなぁ。 なぜだ??

そんな時は、書かないに限る。 そんなモンだろなぁ。

6月は行事がイッパイありすぎて、頭が回ってないのかも。

ってな訳で、このブログ、ほとんど休みがちになる予感。

気がむいたら、また書こっと。

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2006-05-22

母。

 疲れて寝た時には、必ずイヤな夢を見る。起きると決まって涙が出ている。けれども、ここ数日は少し違っている。10年前に逝ってしまった母が、夢に出てくるのだ。それも寂しげに微笑んでいる母の姿ばかりだ。

 母は死ぬまで苦労の絶えない人生を過ごした。私が3歳になる少し前の、突然の祖母(母の実母)の死の後、父の貞淑な妻、私と姉の母親の役目を完璧にこなしつつ、同じ敷地内に住んでいた、落ち込み続ける祖父・弟妹の身の回りの世話までしていた。
 そして私が二十歳を過ぎた頃、母は腹部の異状に気付き、総合病院で検査を受けた。病名は大腸ガンであった。しかし母の強い希望により、父は私に「良性のポリープ」だと偽り、その闘病生活の2ヶ月、私は母の病状に気遣う事無く、身勝手な社会人生活を送っていた。そして私は今の主人と結婚し、あっさりと実家から出て行った。

 一般的にも言われているとおり、ガンは5年以内に再発の可能性が高く、それを過ぎれば少しは安心できるらしい。それも通院をしながら、ゆったりとした生活をしていればの話だろう。しかし母の場合それが出来なかった。退院し1年が経った頃、祖父が脳梗塞を起こし、幸いと言うのだろうか、寝たきり程にはならずとも、半身麻痺の後遺症が残った。母は祖父をリハビリのため、近くの病院まで肩を貸しながら付き添い、夜はトイレに起きるのが難しい祖父のため、離れの祖父の家で、柱にもたれてウトウトするだけの毎日を余儀なくされていた。そんな過酷な生活の中、心配していた事が起きた。再発である。緊急手術の甲斐も無く、開腹するだけで施しようのない状態だった。

 その時期、私は長女を妊娠していた。偶然の悪戯なのか、その出産予定日が母の余命宣告の時期よりも、少しだけ遅かったのだ。ここで、また母は父を巻き込んで、私に嘘をついた。「お腹の子供に障るといけないから、事実を言わないように」と父に告げていた。しかし父の判断で、私は事実を知らされた。知らされた上で「知らない演技をしてくれ」と父に言われ、私は複雑な胸中で母との束の間の日々を過ごす事になった。母は病院から最期の退院の許可が下り、年末に帰宅していた。母の顔を見て安心したかのように、また迷惑がかからないようにであろうか、母の帰宅後すぐ、愛犬が眠るように死んでいった。母の手作りの餌を嬉しそうに食べた次の日に・・・。

 最期になるであろう正月のために、私は懸命におせち料理を作った。お腹が大きくなっても、自転車に乗って実家に足繁く通った。食が細くなった母のために少しでも食べてもらおうと、好きな食べ物を作ったり買ったりして持参した。そんな時期はそう長くは続かなかった。私は出産予定日より2週間早い4月上旬、夜中から陣痛が始まり、次の日の夜に夫の立会いのもと出産した。母は辛い身体をおして病院まで来てくれた。6日後に退院し、赤ん坊を連れすぐに実家に駆けつけた。起き上がることも困難になっていた母は、その直後に家には居られなくなり入院した。今思えば、長女は「おばあちゃん孝行」をしてくれたのだと思う。出産予定日に生まれていたら、実家で母に触れてもらう事は出来なかったのだから・・・。

 生まれたての赤ん坊を、総合病院に連れて行く事を周囲は反対した。どんな病気の人がいるかも分からないからだ。しかし私は夫に懇願し、毎土日に母に長女を会わせに連れて行った。そして、赤いカーネーションを母に贈れる最期の母の日、それでも母は「花の生け方もメチャクチャやね」と苦笑しつつ言い、大量に買って行った花束を幾つかの花瓶に上手く飾っていた。その時すでに母が余命宣告された日は、とうに過ぎていた。
 やっと長女の生後百日を迎え「食べ初め」をすませたと、病院に報告に行き、私は演技で「早く治って退院してよ!この娘の世話も頼むよ!」と、涙を堪えて私は言った。「そうやね、もうすぐ退院するから」と母。しばし会話した後、帰ると告げ病室を出たが、一言言い忘れた事を思い出し、ノックをせずに病室の扉を開けると、そこには泣きじゃくる母の痛々しい姿があった。母が気付かなかったので、そのまま私も泣きながら病院を後にした。母の入院中、会社勤めをしながら父は朝夕と病院に通い、身の回りの世話をしていた。父も当然ながら痩せていった。その父から「ママの様子がおかしい」と連絡があった。泣きじゃくっていた母を見た日の2日後の7月の暑い日だった。

 駆けつけると既に意識混濁状態の母の姿がそこに見えた。まるで長女の百日を待っていたかのように、安心したかのように意識をなくしてしまっていた。私の事を心配するあまり、気力で生きていたのだろう。長女の世話のために義母に来てもらい、姉と私と母の妹二人と4人で交代しながら、24時間の付きっ切りの世話をした。だが私が付き添いの時に限って、母は息を荒立てるのだ。たとえ話せなくても目と耳は機能していたのだろう。「私に付き添ってないで、早く帰って赤ん坊の世話をしなさい」と言わんばかりに。そんな日々が10日も続いた7月の末の深夜、昼に私と叔母と付き添いを交代した、姉から危篤の連絡が入った。急いで夫の車で病院に着くと、既に母の顔には白い布が掛けられていた。父も間に合わなかったのだ。母は気丈な叔母と姉の付き添いの時を選んで、息を引き取ったようにさえ思えた。父は白い布をそっと取り、頭を撫でながら「よく頑張ったなぁ、ホンマに頑張ったなぁ。もう楽になったか。しんどかったなぁ」と言っていた。私は動く事すらできず泣き崩れそうになっていたが、「泣くな。今からやる事が山ほどある。泣いたらママも安心できないよ。」と姉が私の手をグッと握り、看護士さんとの後の事を相談し始めた。

 私にもしも夫も娘も居なかったら、私は最愛の母の後を追っていたと思う。その時でさえ、棺桶に一緒に入りたいとさえ思えたからである。

 そんな母の夢を見ている。今の私の状態を嘆いてるのだろうか。それとも私の心を察して、あちらに呼んでいるのか。私は呼ばれてもいいかと思っていた頃もあった。それだけ私の心は病んでいたのだ。 

 しかし、今は、早くして亡くなった母のためにも、そして、なにより家族のために、自分のために、しっかりと地に足をつけて立ち、少しずつでもいいから、前に進んでいこうと思っている。 それが何よりの母への親孝行だと思う。

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2006-03-31

最近つまんねー。

  最近ちっとも面白い事がナイ。

  とにかく つまんねーーー。

  とにかく うぜぇーーー。

  
  ・・・・・・・・



  自分自身が つまんねーーからか。








  また凹ったな・・・・・orz


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2005-11-12

大切なこと。

話さなくても 分かり合えるなんて

大きな 間違い

大切なことは ちゃんと 言葉にして

相手に 伝えなきゃ

「ありがとう」

「ごめんなさい」

・・・大切な言葉だね

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2005-10-17

遠いキオク。

あの頃に もどりたい  楽しかった あの頃に

偶然 分かり合った  お互いの 気持ち

少し 照れながらの  初めての デート

少し 荒い 運転をする 貴方の 横顔

そっと 指が触れ 手をつないだ 瞬間

そっと 耳元で 好きと言ってくれた 瞬間

ケンカしても 一緒にいたいと 思えた

泣かされても 一緒にいたいと 思えた

何があっても 何が起こっても

ずっと 一緒にいたいと 思えた


あの時の 気持ちに 戻りたい

あの時の 気持ちに 帰りたい

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2005-10-10

What’s  Love?

     愛されたいのなら  愛を与えよう

     信じて欲しいなら  先に信じよう

     傷つけたくないなら  優しくなろう

     傷つきたくないなら  勇気を出そう

     きっと いつか 分かってもらえる

     きっと いつか 信じてもらえる

     でも アタシは 愛し方を 知らない

     でも アタシは 勇気もない

     そんな アタシは 誰からも

     愛されない  愛されない

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2005-08-29

妄念。


 ある紳士に言われた。アタシの思いは「妄念」だと・・・。

 本当に彼を愛してるのか、ただ寂しいだけなのかも知れない。
 
 寂しさを 紛らわすために 誰かに愛されたかったのかも知れない。

 そうすると・・・他の誰かでもよかったのかも?

 でも 彼でないとダメだったような気もするの・・・

 頭の中が 整理つかない・・・ 誰か気付いて・・・・・・

 アタシの ココロのSOSに 誰か気付いて・・・・・

 誰かじゃダメなのよね 彼にホントは気付いてほしいのに・・・

 もう 過去には 戻れない 戻りたくてもね。

 アタシのココロには 一点の赤いシミができたまま・・・

 一生 消えない シミ になって 残るのね・・・

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2005-08-26

オンナってのもツライやねー。

  
あー・・・なんか ツライやなーー オンナって。
  
今日は思いっきりぶっちゃけ話。 だから大阪情緒たっぷりで!
やっぱ声聞きたいんやなー 優しい言葉かけてくれっちゅーねん!
分かるで?離れたんやもん、しゃーないのは分かってるわ。
でもな、やっぱり離れたーなかったんやもん、ホンマはなぁ。
せやけど、ウチの抱えてる大きな障害(ハードル?)もあるしー、
アンタの まだまだ先の長い、大きな未来を考えるとな、どない
したって、ムリっちゅーもんやもんな。 おまけにアンタはまだまだ
クソガキや。一回りちゃうと、やっぱり誰も応援もしてくれへんし、
アンタ自身もかなり、ウチのこと重かったんやろなー・・・

せやけどな、友達って割り切ったら、また会えるってホンマか?
ムリやろ。ウソやろ。口からでまかせやろ。もうメールも電話も
せーへん!ってタンカきったけど、直後にもう電話してしもた。
今でも 毎日電話してるわなー・・・ それもしんどい時に。
あんな気まずい最期やったから 心配なんもあるんやでー。
それくらい分かってーな。 笑顔でさいならーってするはずが、
あんなエライ最期やってんから、ちょっとくらいウチのことも
心配してーなー・・・。メッチャ寂しいやんかー悲しいやんかー。
エーなー・・・気分転換できそうで。ウチはずっと家におるから
なーんの気分転換にもなれへんわ。

だから電話で声聞きたーなんねん。 アンタの声で気分が
落ち着くねんもん。しゃーないやんか。せやけど、アンタは
メッチャめんどくさそーに 出るなー 電話に。悲しいのん
通り越して 笑えるわ。でもな、めんどくさそーやけどな、
ちゃんと話は聞いてくれたもんなー。そこは感謝してるわ。
アンタにしては上出来や。ヨワタンなとこ見せんとウチに
ちゃんとした答えをしてくれたもんなー・・・。

なんか 酔ーてるみたいやけど、ホンマの気持ちやで。
なんとなく 書いてこの気持ちを残しておきたかったんや。
ごめんなー ホンマごめんなー メッチャ好きやでー。
だから、一生あわれへんやろなー。今すぐにでも「来い」
ってゆわれたら、飛んでいくくらい 好きやのになーー。

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